愚者の性質21話

西に雲があった。

大きく競り上がった雲は、熱帯の暖気を吸収し成長して、黒い雷雲となり我を攻撃する。

雷が近くの発電機に落ち、黒煙が上がった。

もうもうと立ち昇る黒煙は、三日三晩続いた。

そんな中、捕虜達の労働は続けられた。

主に収容所施設の設営と、周辺の土木作業だと聞いたが、病棟に居る僕にはどのような労働であったのかは、想像がつかなかった。

労働棟で今、二宮はどうしているだろうか。

ふと、気にかける事があったが、それを知る手段の無い僕には、無意味でもあった。

二宮の狂行以来、翔君は笑顔が少なくなった。そして、いつも怒りを蓄え周囲を警戒するようになった。

夜には、しばしば僕の寝ている所に潜り込み、嫌な現実を払拭するが如く、僕を抱いた。

僕もまた、翔君に求められる事で、二宮とのことを忘れようとしていた。

僕達の間には、一種独特の背徳感とそれを秘かな喜びとする奇妙な感覚があった。

僕は翔君に抱かれる際、他の捕虜を配慮して声を極力抑えた。

それでも、余りに激しく求められる時は、抑えきれない喘ぎ声が漏れてしまっていた。

これが、仇となった。

ある夜、いつもより早く夕食を終えた翔君が、僕のもとへ来ると深刻な表情をして僕に言った。

智君、明日から俺は労働棟に移動を命じられた。

えっ?足の怪我は?まだ完治して無いでしょう?

今日の検診で軍医に、労働するに支障無しと言い渡されたんだ。仕方ない。

そんな翔君と離れるなんて。

心配なのは、俺が労働棟に移動した後、貴方を狙う輩がいないとも限らないってことだ。

僕を狙う。

貴方は自分では分からないかもしれないが、かなりの美貌の持ち主なんだ。

美貌って、そんな、僕は男だよ。

いや、男も女も関係無い。貴方には、性別を凌駕した妖艶な雰囲気がある。それはこの収容所の誰しもが気付いている筈だ。

ちょっと待って翔君、僕はそんな大層な見た目では無いよ。

心配だ。俺が離れた後、誰が貴方を守ってくれるのか。

頭を抱えて項垂れてしまった翔君に、僕は努めて明るく言った。

大丈夫!心配しないで!僕だって男だ。

自分の身は自分で守る。

そうだ、そう言えば、二宮が言っていた。

翔君がいなければ、僕は何も出来ないじゃないかと。

僕は自分を奮い起たせ、翔君に誓った。

弱しい自分を反省し、強くなると。

智君いつか貴方を連れてここから脱走したいよ。

翔君、しばらくの辛抱だよ。きっとまた一緒に居られる日が来るよ。

僕達には分かっていた。

脱走がどれだけ無意味かつ、危険な事か。

収容所の外には、比島の広大な叢林が広がるばかりで無く、比人ゲリラの襲撃や飢えの苦しみが待っている。

また米兵の銃口が脱走した囚人を狙うかもしれない。

それらを突破して海沿いにたどり着いたとしても、日本に帰る為の船が無い。

僕は思い出した。

以前、まだ日本軍の野戦病院にいた頃。

翔君に聞いた夢みたいな日本帰還計画を。

あの時、翔君が見せてくれた銀貨は、捕虜になった時、米兵に回収されてしまったらしい。

僕達はここで、この収容所で何とか生き延びて、戦争の終わるのを待つしか無いのである。

翌朝、迎えの日本人捕虜に連れられて、翔君は労働棟に移動した。

愛している。絶対、一緒に日本へ帰ろう。

そう言い残して、翔君は行ってしまった。

後になって、噂で聞いた。

僕と翔君の関係を米兵に密告した捕虜がいたと。

おそらく、僕の漏れ聞こえた声が原因だろう。

身から出た錆び、そう思うしか無かった。

僕は、一人になった。

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